DIARIUM MEUM PERSONALIS

アルコール消毒されたクリアな頭で考える!

「寄り添う」という言葉巧みに「すり寄る」企業

日本語はアイデアや情報をやり取りするための言語というよりは、単に感情を叩きつけるためだけにある言語かもしれない。日本語で作られた思想はなく、科学もない。日本語で日々やり取りされているのは、「あいつの言い方は気に入らない」とか「厚生労働省が言っているのだから、お前はこうしなければいけない」という感情の表明だけである。間違ってはいけない、「お前はこうしなければいけない」は日本語においては感情表明でしかない。ロジカルに人を諭す日本語話者はいない。(説教ばかりしている老人芸人を見よ!)

現在の商業日本語(商業日本語以外の日本語があると言っているのではない。日本語=商業日本語になり下がってしまった事態をシンプルに表現しているだけだ)話者は、ほんの少しのロジックさえついに捨てきって、「美しく響く言葉」をアクセサリーにすることを恥ずかしいとも思わず実行している。

アクセサリー言葉の例のひとつが「寄り添う」という言葉だ。

1.資生堂

資生堂「これまで以上に、お客さまの心に寄り添っていく」



笑っちゃいませんか?
「お客様に付き纏います」かと思ってしまいました。よくいうように化粧品には客観的な良さなどはなく、あるのは多少の「相性」くらいです。高い化粧品が優秀というわけではなく、安いものは悪いというわけでもない。世界の情勢を見れば、今後ますます普通に生きていく女性が不要に感じるはずのものが化粧品。化粧品会社も何とかしないといけないとは思うでしょう。それはそう。

「わたしはあなたの味方ですよ。何でも言ってください。」これはメーカーのスタンスではなく、販売店のスタンスであるべき資生堂は売り方までコントロールしたいなら、小売店で販売するのをやめて、完全に直販すればいい。まったく出過ぎたインチキ企業だと思う。

しかし、そういうインチキさを隠すのが「寄り添います」の一言なのだろう。日本語社会においては、これが機能しているらしい。

2.三井住友ファイナンスグループ

すべてのお客さまに寄り添うため「デザイン」に注力

「抵抗感がある方」と婉曲的に語られているが、これは正確に言えば「時代に追いつこうとしない人」の意味です。「そういう人にも使ってほしいの」という企業のメッセージは理解できます。

確かに日本で無駄金を持っている層はおもに高齢者で、デジタル非対応層です。でもそういう人に「寄り添う」必要なんてあります?「寄り添う」気なんてないでしょ。「付き纏って」生き血を吸いたいだけでしょ。

そう言ってしまうこともできないので、まずは「寄り添う」などという甘言をつかって「すり寄り」、最終的に「付き纏う」のでしょう。(サービス提供者側からしても、ほかにいくところがなくなっているので、「付き纏い」からは逃れるすべがない)。

結論

昔から「わたしたちはこんなに立派な会社です」と自画自賛している企業に誠実な企業はありませんでした。最近日本のテレビでは、自分たちはこんなにすごいと自慢している企業を見かけることが多くなっています。

・自分たちの技術はすごい
・自分たちは人類の未来を考えて行動している
・縁の下の力持ちです

こういうCMに入れている企業は、それをしなくてはならない事情があるのだと推測します。考えられるのは(1)利益を圧縮したい、(2)メディアの批判を受けたくないなどです。

某ケミカル系企業のように、各テレビ局に膨大なCM料を払っているため、危険かもしれない製品を作ってもマスメディアからは批判されないケースもあります。最近では、某インスタントラーメンの会社も商品の不健康さをテレビ番組で攻撃されないよう、無駄な広告をたくさん入れています。

問題は商業日本語世界にいるかぎり、言葉が金儲けの道具にしかなっていないことを認識できないという事実自体にあります。諦めるか、日本語を捨てるか、それは皆さんの判断に任せます。